国立西洋美術館開館50周年記念事業
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出版・グッズ

村上 博哉果てしない時間の旅


 「ローマは偉大であるがゆえに人々から愛されたのではない。人々から愛されたがゆえにローマは偉大になったのだ」―イギリスの作家G.K.チェスタートンの名言のとおり、都市のなかの都市ローマは時代と国境を超えて多くの芸術家たちを引き寄せ、ローマに捧げられた芸術作品は「永遠の都」への憧れを一層かきたてます。ゲーテ、スタンダール、アンデルセン、プッチーニ、ウィリアム・ワイラー、フェリーニ……ローマの魅力を作品にうたった創造者たちの名を挙げれば、優に一冊の本ができあがるでしょう。
 この作品集『ローマ 未来の原風景』には、ニューヨークを拠点に世界で活躍しているHASHIこと橋村奉臣氏による、都市ローマを題材とした作品群が収録されています。広告写真からファイン・アートまで広い領域におよぶ橋村氏の意欲的な活動に一貫しているのは、写真というメディアの本質ともいえる“時間”の概念に挑戦する姿勢です。HASHI の名を世界に知らしめたAction Still Life(アクション・スティル・ライフ)の写真作品は、10万分の1秒という極小の時間を超高速の光によって鋭く捉えたものでした。それらの作品は、「一瞬の永遠」という作者自身の言葉に集約されているとおり、人間の知覚能力をはるかに超えて極限まで凝縮された一瞬のうちに展開する、限りなく豊かで驚異に満ちた形の世界を私たちに示しています。シャンペンの泡が瓶からあふれ出る瞬間を捉えた代表作《Cheers−喜び−》(1982年)は、あまりにも有名です。
 一方、本書で紹介される作品群は、“時間”の概念と写真表現の可能性に関する橋村氏のもうひとつのアプローチから生まれたものです。それは作者自身が撮影したモノクロームの写真を焼き付ける過程でさまざまな技法を施した、いわば写真と絵画的手法の融合による一種のミクストメディア作品です。橋村氏はこの独自の手法をHASHIGRAPHY(ハシグラフィー)と命名し、1987年以来制作に取り組んでいます。
 作者によれば、「未来の原風景」と称したこれらの作品群を貫いているコンセプトは、いま私たちの眼に映る21世紀の光景を千年後の未来に再発見するというものです。作品の出発点となる写真には、二千年を超える都市の歴史が刻印されたローマの遺跡や街並みと、現在この都市に暮らす人々の営み、そして憧れをもってこの都市を訪れる人々の姿が重なり、遠い過去から現在にいたる悠久の時間が凝縮されています。橋村氏はこうした“過去”と“現在”が交錯するイメージをみずからカメラに捉え、集中力を傾けた暗室内の作業によって、そのイメージに彼自身の生の痕跡を新たな“現在”として刻みつけます。このようなプロセスを経て完成する作品は、それ自体があたかも遠い過去の遺物であるかのような装いを帯び、私たちの思いを現在から遠い過去へ、そして遥かな“未来”へと導きます。これらの作品が、懐かしさに似た不思議な感覚をよびおこすのは、私たちの現在、私たちの生きる時間が永遠の時の中の一瞬であることを、あらためて思い起こさせてくれるからに違いありません。
 本書に収められた作品の大半は、橋村氏が2008年にローマで撮影した写真をもとに、2009年に制作したHASHIGRAPHYの最新作です。収録作品の多くは、本書の刊行と同時に国立西洋美術館で開かれる橋村氏の個展『ローマ 未来の原風景 by HASHI』に出品されるものです。大帝国の繁栄と衰亡を物語る古代の遺跡、グラマラスな魅力にあふれたバロック時代の建築と彫刻、市民と観光客で賑わう広場や街角―橋村氏の作品は、こうしたローマの諸相を、光と影に対する鋭敏な感覚で捉え、力強さとエレガンスをあわせ持った独自の表現によって私たちに示しています。それらは、汲めども尽きぬ永遠の都ローマの魅力を生き生きと映し出すとともに、私たちを果てしない時間の旅へと誘います。古代文明の遺産と都市の長い歴史が、今日のアーティストの独創的な活動を通じて新たな価値を見出されていることを、この作品集は実感させてくれるでしょう。

(むらかみ・ひろや 国立西洋美術館 学芸課長)


HASHIGRAPHY - ROME: Future Déjà Vu - 『ローマ 未来の原風景』作品集 序文より(2009年9月発売)