国立西洋美術館開館50周年記念事業
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三上勝生ローマによって見られた夢……HASHIGRAPHYの秘密


 ローマとは何か。なぜローマなのか。この意味と理由の二重の問いの軸には、当然のことながら、日本(人)とは何か、アメリカ(人)とは何かという問いの軸が交差している。日本に生まれ育ち(過去)、アメリカに渡って仕事と生活の基盤を築き(現在)、そしてその先をローマで凝視するHASHIにとって、ローマはある意味で「未来」の象徴であると言えるだろう。
 だが、なんという皮肉であり謎掛けか。ローマという窒息しかねないほどの過去の堆積が部分的にせよ露出する場所で、どんな未来が拓けるというのか。夥しい数の死者の言葉にならないうめき声が石畳の下から立ち上ってくるような場所で、未来は単純に明るいイメージで捉えられようはずもない。ローマの意味と理由は私たちにとってはもちろん、HASHI自身にとっても、かならずしも自明ではない。
 どこを歩いていも、無数の眼がHASHIの身体を射抜き、無数の口が、何?なぜ?とHASHIの耳に囁きかける。その視線に向き合い、その声に応えるために、HASHIは、南欧の自然の光が描いた写真(PHOTO-GRAPHS)を、HASHIとしか名付けようのない渦巻く問いに溢れかえった運動とプロセスに投げ入れる。そうして現像されるHASHI-GRAPHY作品群には、橋村奉臣(過去)からHASHI(現在)への変容、そしてHASHIからXへのさらなる変容の意思が焼き付けられていると見ることができるだろう。HASHI-GRAPHYはHASHIの人生とローマとの間のより深い交わりを表現するために生まれた。
 ローマとは何か。なぜローマなのか。この意味と理由の二重の問いは、いうまでもなく、単に文化教養的、あるいは単に学問的な問いに還元されるものではない。それらは己の来歴と現状からいかなる展望を切り拓くかという誰にとっても他人事ではない人生において最も深い火急の問いに繋がっている。
 歴史的な目にはローマとはローマ帝国のローマであり、偉大なる過去の数々の形象が威厳に満ちた像を結ぶ。しかしその一方では、ニューヨークや東京の現在を生きる人々がいるように、ローマやパリの現在を生きる人々がいる。政治家でも軍人でもない。ただの市井の人々。名も知らぬ人々。未来の歴史の教科書には記録されないであろう膨大な数の人々。しかしどんな時代と社会にあっても「歴史」の土台や底辺を担う人々。忘れられるであろう人々。HASHIGRAPHY(ハシグラフィー)作品群には、そのような人々への限りなく優しいHASHIの眼差しが強く感じられる。しかし、そこに暗い影があたかも未来を志向する人間の暗い宿命を暗示するかのように落ちる。
 一般的な見方によれば、未来は次々と間断なく現在に移行し、さらに過去へと押し流される。どんな現在もそれ以前から見れば、かつては未来だった。しかし、未来は現在化したとたん、かつての輝きを失い、間もなく薄暗い過去へと追いやられる。したがって、仮に31世紀の眼からみれば、21世紀のローマはすでに1000年も前の薄暗い過去の部屋で埃を被っているようなものだろう。では、逆に21世紀に生きるわれわれが、1000年後に向こう=未来からこちらを見るかもしれない眼に何を提示しうるだろうか。HASHIGRAPHY作品群はその問いに対する一つの魅力的な答えを用意している。
 HASHIGRAPHY作品群には知覚の三つの様相を認めることができる。言うまでもなく、過去、現在、そして未来である。写真には「過去」を象徴する遺跡や古い石造りの建築や石畳、「現在」を象徴するローマやパリで呼吸する市井の人々が写っている。そして写真はそれらを見ている写真家の意図をはっきりと示すかのように、大胆に墨汁の筆を走らせた痕が何かの影のようにもモノクロームの血痕のようにも見える肌理の荒い厚い和紙に焼き付けられている。このように、HASHIGRAPHYという画期的なミクスト・メディアの技法によって、HASHIは、過去、現在、そして未来という三様相を統合することに挑戦した。十万分の一秒の世界を撮影した アクション・スティル・ライフ(Action Still Life)が世界の微分的様相の定着だったとすれば、都合三千年にわたる歴史を三点留めしたHASHIGRAPHYは世界の積分的様相を定着したものだと言えるだろう。
 しかしながら、われわれにとっては過去も未来も決して自明ではない。われわれは未来を知ることはできず、ただそれを過去と現在の関係から類推することによって朧げながら想像するだけである。要するに、未来はあくまで過去を背負った現在における想像力の産物にほかならないということである。他方、過去についてもまたわれわれはよく知らない。歴史。それは過去の上澄みにすぎないことをわれわれはすでに何度も思い知らされてきた。ただし、過去をよく知ろうとすること、そして実際によく知ることはできる。実際にそこに行き、歩き、できるだけ多くのものや人に出会うことだ。
 そうしてよく知られた過去は、現在を変える。つまりは世界に方向性を与え、今何をすべきかを教える。それをこそわれわれは未来、未来の意味と認めるべきではないか。HASHIも語るように、未来は直線的な時間軸上に位置づけられるような点のごとき抽象的なものではまったくない。未来はむしろそのような時間軸上に構成される歴史なるものから排除された、排除されるであろう、すべての存在が示唆する可能性のことである。
 HASHIGRAPHY作品群が提示する鋭敏な未来像は単純でもなく、明るくもない。それらは、無名の死者そして今を生きる無名の生者すべてによってそれぞれに生きられる人生という時間の錯綜した流れを表象しているからである。
 過去が現在に投げかけ、落とす影こそがいうなれば未来である。その影は次第に濃くなりつつあるようにも思われる。しかし、HASHIGRAPHY作品群を見る目がその暗さに次第に慣れたとき、われわれはその影の中に無数の人影を見るようになるだろう。そのとき、われわれはHASHIを通してローマによって見られた夢に触れることになる。すなわち、すべての死者とすべての生者がこの時において共に在るという、かつて「神」によっても見られたであろう夢である。『ローマ 未来の原風景 by HASHI』において、われわれはHASHIを通してローマによってみられたそのような壮大な夢の中に招待される。それがHASHIGRAPHYの秘密でもある。

(みかみ・まさお 札幌大学教授・哲学者)


HASHIGRAPHY - ROME: Future Déjà Vu - 『ローマ 未来の原風景』作品集 序文より(2009年9月発売)