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立松和平宇宙の卵からの出発 —HASHI— 小論
2006年秋、HASHIの大規模な写真展が東京都写真美術館で開かれ、ほとんどの写真を私はその時にはじめて見るはずであった。HASHI[橋村奉臣]展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』という写真展である。その会場にいってみると、そこにあった写真は不思議なことに既視感にあふれていた。
会場は二部に分かれており、『一瞬の永遠』のセクションでは、写真家としてのHASHIの評価を決定付けたSTILL LIFEの世界が大判プリントで展示されており、見る者を圧倒していた。蓋をとばして舞い踊るかのように噴出するシャンパンの緑の壜の肌には、よく冷やされていたのかていねいに見ると小さな無数の水滴が浮かんでいる。水に落ちる小石も、まるで意志を持ったかのようにそれぞれ違う表情をしている。私たちの生活の中のものいわぬ静物(スティル ライフ)であるのだが、一瞬の表情が何よりも雄弁なのであった。
日常見慣れた静物(スティル ライフ)を撮影しているから既視感があるというのではない。そうならば作品になるための写真家という回路が存在しなくなる。既視感とはかつて見たことがあるという感覚で、私たちの日常生活の中にHASHIの作品が、まるで台所にあるリンゴのように侵入し何気なく存在しているということである。私たちは雑誌の広告ページの中で見たことのある写真を前にして、この作品の作者はHASHIだったのかと改めて知るという具合であった。
HASHIはたくさんの広告写真を撮ってきて、名をなした。彼の代表作は十万分の一秒という高速ストロボを使った、まさに「一瞬の永遠」の相を見せている。それは私たちの意識の底にある相であり、見ているのに高速で消滅するものであるため記憶できないがゆえに、無意識に強く働きかけている。だからこそ、無意識の領域に既視感となって現われるのだ。
商品を直接撮るということもあるだろうが、HASHIの代表的な作品はその既視感によって人を立ち止まらせ、目を釘付けにする。HASHIの多くの仕事はそこまでである。それから先は、商品の宣伝というまったく別の人の手になる別の仕事である。
ここまで切り詰めた一瞬だからこそ、永遠に通じ、そこから物語が噴き出してくる。そこに閉じこめられているのは時間という物語だなと私には感じることができた。十万分の一の極小の単位の時間にしろ、腐っていくナスや玉ネギやジャガイモや皿の上の目玉焼きの卵やサラダが持っている何週間という時間にしろ、HASHIにとっては同じことなのだ。彼の写真の主人公は時間である。
『未来の原風景』のセクションでは、『一瞬の永遠』の世界とは全く異なるHASHIの世界、HASHIGRAPHYの作品の数々を見ることが出来た。同作風においても時間を主人公に据えるのは変わらないが、まったく相貌の違うアプローチをかけていたのである。HASHIGRAPHYでは、自分たちが死んでいなくなった千年後ぐらいに、自分の作品がどういうふうに見られるかを表現するということだ。古代ローマの遺跡を撮った写真に特殊な創作加工を施し、歳月が降りかかったことを表現した作品を前に、私たちは語り合った。
立松 その瞬間、十万分の一秒を鮮明に撮るっていうのは、いまの技術の限界でしょう?これは、わざと古くしてるんでしょ?
HASHI 古くっていうか、この作品が千年後に誰かに見られた時、こういうふうになっていたらうれしいなっていうことを、いまの人に見てほしいっていう、途方もない空想の世界なんですよね。
立松 たとえば写真が、リンゴが腐っていくように、彫刻が雨にあたって風化していくように、酸素と反応したりしながら、こういうふうに存在感を変貌させていくだろうという、そういうことなんですね。これは、非常に絵画的ですね。
HASHI 自分はもともと絵が好きだったもので。まったく(スティル・ライフとは)別の世界なんです。
立松 別の世界だけれど、共通するものがありますね。それは、時間ですよ。それは恐ろしく切り詰め切った瞬間的なものとして、いまの技術で可能なかぎり写真の中に時間を取り入れたいのでしょう?考え方としては、水の一瞬のきらめきと、千年というように人間にとっては永遠ともいうべき時間が流れていく世界というとは、共通する点がありますよ。
HASHI はい。そしてこれ(被写体)は千年、二千年前のものなんですよ。
立松 ということは、一枚の写真の中に二千年、三千年の時間が孕まれている。HASHIさんは、時間の人なんだね。写真の中 で、時間を表現したい人なんだね。
HASHI だからこそ「いま」が大事なんですよね。いまの生き方が。
(『十万分の一秒の永遠—HASHIの仕事と人生をめぐって』立松和平・写真HASHI〈橋村奉臣〉、アートン、2006年)
平面的な写真の中に時間を表現しようというのは、あるいは無謀な冒険と思われる向きもあるかもしれないが、私は表現者としてまことにまっとうな指向であると思う。言葉しか道具立てとしては使わない文学も、作品の中にできるだけ時間を孕もうとするものだ。絵画も彫刻も、もちろん音楽も、あらゆる芸術が三次元の空間に時間を加えた四次元の表現を、たとえ意識しないことであってもめざしているものである。そして、すぐれた表現は数少ないながらも、永遠という時間を獲得しているものである。
とにかくHASHIは永遠に向かって果敢に歩みはじめたのだ。もちろん言葉で説明しようというのではないから、「ローマ 未来の原風景 by HASHI」の写真展がはじまろうとするのに、彼は寡黙である。千年後の未来から見える二十一世紀の風景を描く試みは、すでにはじまっているのにだ。
夏の暑い日に、私は新宿御苑にあるHASHIのスタジオに、「ローマ 未来の原風景」に出品される作品を見るために出かけた。彼はニューヨークに仕事の本拠を置くが、東京でもスタジオを構えて仕事をしていくということである。作品を一枚一枚ていねいに見ながら、彼はぽつりぽつりと独白に近い短い言葉を向けてくる。言葉の人である私は、その言葉を丹念に拾っていくのだ。静かで充実した時間であった。
「描いた部分が増えたね。焼くのではなくて、ダークルームで描くような感覚。人が登場するようになったね。」
印画紙は手で千切ってあるので、端がぎざぎざである。これだけでも二枚と同じものはない。これに水墨画を思わせる特殊な加工がなされている。もちろん写真は最近撮影されたものだが、独特の古びた感じが醸し出されている。HASHIGRAPHYが三年前と一番変わったのは、人が多く登場するようになったことだ。遺跡だけを撮ったのでは、古びた具合はわかるものの、人が生活をしている現在は表現できない。物だけが被写体の「STILL LIFE」には物体の一瞬の完璧な相貌が描かれ、それだけで充足した世界で、善でも悪でも同時に行うほど複数な人間が被写体として介在する余地はまったくなかった。
「遺跡にはローマの人も観光客もいる。その人たちがローマの遺跡の遺跡ではなかった遠い昔に通じているんだ。」
まだ遺跡ではなかった建物をつくったのは人だし、遺跡として守りつづけてきて現在の遺跡を楽しんでいるのも人である。時間と時間とをつなぐのも人である。そもそも人間好きのHASHIは、かつてビルマやネイティブ・アメリカンを撮っていた若き頃のように、写真家として人間に改めて興味を持ちはじめたのだ。
「制約の無いのが好きなんだ。自分にとっておもしろい。制約の多い世界にいたくない。自分が自由になりたいという気持ちになった。コマーシャルの制約から解き放たれたいんだ。一番しんどいところから解放されたい。自分自身が型にはまるんじゃなくてね。」
ローマ軍が凱旋した馬車の轍(わだち)が残るアッピア街道を、現代の服装のカップルが通り最新型の車が走っていく。携帯電話で写真を撮る二十一世紀の若者を、千年後の人たちはどう見るのか。そんなことを考える自分は、澱みもなく流れる遠大な時間の中のどのあたりに位置しているのか。
「一瞬一瞬はどこまでつづくんだろう。手を加えることによって今ある瞬間を撮った作品になるけど、千年先二千年先の作品に残ったものとして、逆の方向から見るんだ。百年くらいたつと今の子供たちも死んでいくし、千年たった未来のローマはどうなっているのかな。」
HASHIGRAPHYの作品を見ながら、HASHIのつぶやく声に耳を傾けていると、私も時の流れの中で迷い子になったような気がする。それは時間という重力から自由になったような感じだ。不安だが、気持ちがよい。気持ちがよいのだが、不安である。それが感覚で接する時のHASHIGRAPHYが醸し出す気分である。HASHIはコマーシャルアートの世界からファイン アートの世界に大きく一歩を踏み出したのだと私は感じる。
「コロッセオはつくった人もすごいけど、ここにすごい数の人がいたんだと思う。人間は死ぬけど、爆破されないかぎりその場所はずっとあるし。カップルがいたからぼくらがいたんだよ。」
カップルが白昼のコロッセオの前で仲良くダンスをしているように、一瞬私には見えた。よくよく見ると、顔をくっつけあって携帯電話で記念写真を撮っているのだった。千年後の人がこれをどう見るかと思うと楽しい。古代ローマの遺跡にいる人は二千年の歴史を継いでいて、そこに作品として千年が加わるならば、ここにたゆたっているのは確かに三千年の時だ。
「遺跡にいくと、人がここにいたんだという気みたいなものを必ず感じるんだ。」
ということは、HASHIはカメラでは写らない気を表現しようとしているのである。それは不可能なことかもしれないが、可能にするのがすぐれた芸術というものだろう。
「作業は楽しい。ダークルームに十六時間から十八時間はいってても楽しくて仕方ない。一九八七年から二十二年間やっているから、加工の具合も、ある程度コントロールできる。でも偶然の妙味が楽しい。」
ぽつりぽつりと置かれていく点のような言葉を結んでいくと、HASHIのやりたいことと心の中のことが見えるような気がしてきた。彼はブラックホールのような凝縮された原初的な宇宙の卵から、爆発によって無限の宇宙の彼方へと旅立ちをはじめたのだ。それは空間ではなく時間の旅であるから、いつどこに到着するのかわからない。HASHI自身にもわからないであろう。誰にもわからないのだ。
そうではあっても、とにかく旅ははじまったのである。私たちは刮目(かつもく)して見守っているしかない。
(たてまつ・わへい 作家)
HASHIGRAPHY - ROME: Future Déjà Vu - 『ローマ 未来の原風景』作品集 序文より(2009年9月発売)
